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森下 直貴(もりした・なおき)

2202年6月自宅研究室にて

1953年茨城生まれ、熊本育ち。熊本高校をへて土浦第一高等学校卒。東京大学文学部倫理学科卒、同大学院人文科学研究科(博士課程)単位取得退学。現在、浜松医科大学名誉教授、京都府立医科大学客員教授、前老成学研究所代表理事・所長。

[研究内容]  

四次元相関思考を軸とするコミュニケーションシステムの倫理学と、これに基づいて「老成学」を提唱する哲学者。生命倫理学や日本の形而上学思想にも関心を持つ。

[主要業績]

死の選択』窓社、1999年。『臓器交換社会』共訳、青木書店、1999年。『健康への欲望と〈安らぎ〉』青木書店、2003年。『水子』共訳、青木書店、2006年。『生命倫理学の基本構図』共編著、丸善出版、2012年。『生命と科学技術の倫理学』編著、丸善出版、2016年。『システム倫理学的思考』幻冬舎メディカルコンサルティング、2020年。『新版「生きるに値しない命」とは誰のことか』共編著、中央公論新社、2020年。近著に『21世紀の「老い」の思想』(知泉書館、2022年)がある。

2022年11月、新著を出版しました。

まえがき

 

 日本人はいま寿命100年の超高齢社会に生きている。2021年現在、65歳以上の老人は約3600万人を超え、総人口の3割弱を占めている。0歳児の平均寿命は約男82歳、女約89歳であり、現時点で70歳の人なら確実に90歳を超えることになる。しかしそうなると、私たちは30年以上にも及ぶ老後をどうやって過ごせばいいのだろうか。

 吉田兼好のように潔く美しく死ぬことを願うか。モンテーニュのように私的領分の中で老いを味わい尽くすか。『楢山節考』の老婆のように家族のために自己を犠牲にするか。寿命が50年だったらそれでよかった。あるいは、ボーヴォワールのように老人の権利を主張し、福祉の充実を求めるか。寿命70年ではそれは必要だった。それとも、アクティブ・エイジングを実践し、健康体操に努めて日々新しいことに挑戦し続けるか。寿命80年ならそれも可能だった。

 ところが今日、寿命100年の老後を支えるはずの福祉国家が危機に瀕している。社会保障給付費の累積赤字が増加する一方、頼みの日本経済は低迷し続け、国家財政の借金返済が次世代に付け回されている。その中で国民が貧富の二極に階層分化し、老後破産が広がっている。目下、ポスト福祉国家の改革は急務を要し、加えて環境と経済の両立、コミュニティの再建、多様性の包摂、デジタル化への対応といった二十一世紀の課題群も解決を迫っている。

​2020年2月に刊行されました。

​森下の理論的な主著です。

まえがき

 

 人は他者とのつながりの中で生きて、死んでいきます。他者とつながる限り、対立する状況が生じることは避けられません。なぜなら、何らかの問題をめぐって人それぞれ利害や立場が根本のところで違っているからです。

 対立状況をもたらす問題はいつの時代でもなくなりません。ところが最近になって、マネーゲーム、引きこもり、情報格差、データ加工、サイボーグ、遺伝子診断、ゲノム編集など、これまで経験したことのないような問題が浮上してきました。それらは以前より格段と錯綜しているだけでなく、不確実性という新たな特徴をも帯びています。そしてこれらの背景には、コンピュータでつながるデジタルコミュニケーションの影響があります。

 たとえば、AI(人工知能)やロボットの導入によって働き方や暮らし方が変容しています。高齢化や少子化に加え、SNSやコンビニ利用の単身者が増えることから、共助の力も弱まっています。報道に関して真実とフェイクの境界が不分明になり、分断と憎しみが蔓延しています。バーチャルリアリティが浸透し、伝統や理想といった価値の無意味化も進行しています。

 21世紀も20年代に入りました。デジタルコミュニケーションの影響は今後ますます大きくなり、社会を根本から変えていくことでしょう。現在でもその影響を受け、人と集団と国家のあいだで対立と混迷が深まっています。その渦中で人々は戸惑い、不安を覚えています。孤立し、目標を失い、将来に絶望している人も少なくありません。

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