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「正解」なき世界の「バイアス」論
コロナ禍の中で人はいかに生きるか

2021.1.21

   2020年の初め以来、新型コロナウイルスの感染拡大が世界中で続き、一年後の現在においてもその収束は見えていない。この間、三密や、PCR検査、集団免疫、ロックダウン、緊急事態宣言、医療崩壊、エクモ、トリアージ、自粛警察など、これまで馴染みのなかった言葉がメディアを通じて垂れ流されてきた。また、ソーシャルディスタンスや、リモート会議、テレワーク、デリバリーなど、今まで経験したことのなかった新しい生活様式も広がりつつある。

   目下、新型コロナに対する政府の対応や、医療界の取り組み、個々人の行動をめぐって、専門家だけではなくマスメディアのコメンテータに一般国民も加わり、大量の断片的で断定的なリスク情報や見解が撒き散らされている。こうした情報氾濫(インフォデミック)の中で、人々の恐怖心がいたずらに掻き立てられ、新たな垣根や分断、さらには差別や排除まで生じている。

   もちろん、多数の個体が集団を構成して生きている以上、混乱と対立は避けられない。しかし、そのことによって分断と差別が作り出されるのは好ましいことではない。とすれば、コロナ禍で蔓延する混乱と対立を解きほぐすために、私たちはどうすればいいのだろうか。

マクロとミクロの交錯
哲学の役割とは何か

読書ノート:森田邦久『量子力学の哲学』(講談社現代新書、2011年)

​2020.8.24

 青い空と白い雲、朝日と夕暮れ、風と木々、山と川、人々と町並み、建物と乗り物、鳥と虫、工場とスーパーマーケット、等々。これらはすべて私たち人間の等身大の世界の情景である。つまり、私たちにとってふつうのありふれた世界の事象だ。今年はコロナ禍と洪水と尋常でない暑さの渦中にいるため、そのありふれた世界を無邪気に味わうことができないのは残念である。

 私たちの等身大の世界は、生きものの世界、だから意味や感情や欲望がたえず生成する世界だ。ここから一切の生々しさを削ぎ落としてみる。すると、そこに立ち現れるのは物理の世界、つまりニュートン物理学によって描き出された世界である。ここでは、物体、質量、位置、時間、速度、加速度、運動量、力、仕事、角速度、回転数、モーメント等のタームや数式が活躍する。

   例えば、空が青く見えるのは、大気中の粒子が太陽光線の波長より短いときに乱反射するからだし、雲が白いのは、大気中に浮かぶ氷の粒の大群が太陽光線を受けて反射するからだ。物理の世界は普遍的である。投げ上げられた私の身体と石は同じような軌道を描いて落下する。

 この物理の世界をさらに微細に観察してみよう。すると、そこに浮かび上がるのはミクロの量子の世界だ。これに対してニュートン物理学が捉えるのはマクロの世界である。私たちの身体を構成する細胞も石も原子から構成されている。原子は原子核と電子の結合、したがって素粒子の集合体だ。電子同士が光子をやりとりしているように、あらゆる素粒子同士は量子というエネルギーの束をやりとりしている*。

 *細いことをいえば、量子は、クォークや電子などのフェルミオン群と、これらをつなぐ(力を運ぶ)光子などのボソン群に分かれる。素粒子や素粒子が集まった物体は基本的に高速で回転し、回転しながら他の量子や物体を巻き込んでいる。ここで働いている力が重力であるが、これも光子の仲間(重力子)である(重力については大栗博司『重力とは何か』幻冬舎、2012年に詳しい)。

  ミクロの量子の世界を記述する量子力学は(相対論とともに)20世紀に登場した。量子力学に対してマクロの世界を記述するニュートン力学は古典力学と呼ばれる。今回、読書ノートとしてとりあげる『量子力学の哲学』は、物理学者によるミクロの世界の捉え方について哲学的に反省するためのガイドである。

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