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『人生論ノート』から見る三木哲学の構想

「創造的無」をめぐる二つの観点​

2022.11.27

はじめに

 

「死者のリアリティ」報告の中で示したように、『人生論ノート』の冒頭章「死について」では新しい「死の見方」が打ち出されている。それが「死者の生命」という観点である。その観点に立つと、私の解釈では生者とのコミュニケーションの中で死者がリアリティ(主体的真実)を持って立ち現れ、両者のコミュニケーションを通じて思想が伝統として継承されることが可能になる。ただし、「死者の生命」の観点は『人生論ノート』全体の中では異端である。それ以外の章で扱われているのは死ではなく、「幸福」から「旅」にいたるまですべて生の内部の諸相である。とすれば、『人生論ノート』の冒頭になぜ「死について」が置かれているのか。また、『人生論ノート』では「虚無からの形成」を生み出すために制作による形成の観点が前面に出ているが、これと死者の生命の観点とはどのように関連するのか。さらに、それら二つの観点が混在することは三木哲学にとって何を意味するのか。以下、三木哲学の変容過程を踏まえつつ、「人間の条件について」の章を節群ごとに分けて精読する中で、一連の疑問に対する答えを探ってみる。それを通じて浮かび上がってくるのが三木哲学の将来の構想である。

死者のリアリティ

『人生論ノート』の「死について」をどう読むか

 2022.11.27

はじめに

『人生論ノート』には人生の様々な諸相を掬い取った文章が寄せ集められている。一瞥するとそこには統一性がないように見えるが、実はそうではない。「人間の条件について」の章で打ち出された「虚無からの形成」をめぐって各章はゆるやかにつながっている。ところがその中にあって、冒頭の「死について」の章だけが人生の内部ではなく、死という絶対的なものを主題としているため異様に見える。「死について」の章は「死と伝統」という題名で他の章に先んじて発表された(1938年)。いったい三木は「死と伝統」において何を問題にしたのか。そしてそれは『人生論ノート』、延いては三木哲学にとって何を意味するのか。以下では「死について」の章を節群ごとに分けて精読する中でその答えを探ってゆく。あらかじめ結論を述べると、そこから浮かび上がるのは当時の三木が追い求めていた新しいタイプの人間の具体像であり、また絶筆となった「親鸞論」との深い結びつきである。

井筒俊彦の「東洋哲学」とは何か

日本形而上学と21世紀リアリティ

2020.11.23脱稿

井筒俊彦の「東洋哲学」は形而上学である。それは、日本の形而上学の伝統の中でいかなる位置を占めているのか。そしてまた、21世紀のリアリティの変容の中でいかなる意義を持ちうるのか。この論考では井筒の代表作『意識と本質』を取り上げ、その内容を精査した上で、私自身のコミュニケーションシステム理論の見地から答えを探ってみた。全4回。

西周の《区別-連結》の哲学

「実証主義」と「天の思想」を包括する体系

 西周は『百一新論』(明治7年公刊)の中で,“Philosophy”の訳語として日本で初めて「哲学」を用いた。また,明治10年の東京大学設立の記念講演では,「実験」と並ぶ「溯源」という知的探求の方法を示し,若い世代に向かって「哲学」の創出を呼びかけた。これらの事実を見る限り,西こそ近代日本「哲学」の第一世代を代表する「哲学者」と評されて当然かと思われる。実際,西の講演を聴き,後に哲学講座の組織化や,学術専門誌の刊行,後継者の育成といった外的な制度化に尽力した井上哲次郎は,明治初期に西洋哲学を導入した一群の人々の筆頭に西の名を挙げている。

 しかし,井上以降の制度内で専門化した世代にとって,西は基本的には「哲学者」ではなく啓蒙思想家に止どまる。例えば,井上の後を継いだ第三世代の桑木厳翼によれば,哲学用語の制定の他に,論理学や心理学の紹介,実証主義・経験主義・功利主義に基づく社会科学の導入など,多分野の功績が西に帰せられるにせよ,「哲学」として見れば彼は所詮,「人生哲学を根本」とする啓蒙思想の巨人ではあっても専門の哲学者とは言えない。

 桑木による西の評価は多方面に渡って行き届き,それなりにバランスも取れているため,西をめぐる後世の見方の大枠を決定づけたのではないかと考えられる。とはいえ,専門主義云々を別にしても,桑木の評価には近代「日本哲学」特有のバイアスがある。桑木の哲学観の前提は新カント派の哲学であり,明治30年代に『哲学雑誌』上で行われた論争に関連させるなら,彼は実証主義派に対する形而上学派に属している。つまり,桑木は理想主義的な哲学観を基準にして「功利主義」に接続する西の「実証主義」を否定的に見ているのである。

 ところが,その「実証主義」者であるはずの西は,宗教を論じた『教門論』において形而上の「天」に対する<信>を率直に語っている。この「天」は幕末の主流であった朱子学の「天」ではなく,素行・仁斎・徂徠といった古学派の「天」であり,井上に従えばその源流は遥か遠く空海の密教思想にまで遡るものである。この伝統的な「天」の思想と実証主義(及び功利主義)の哲学とは西の内部でどのように結びついているのか。この点が解明されない限り,彼の「哲学」は依然として未知のままに止まることになろう。

 もちろん最近になって,西に対する徂徠学や東アジアの儒教伝統の影響を読み直す動きが活発になり,近世日本思想と近代化の関係が問い直される中で,西に対する公正な評価も芽生えつつある。とはいえ,思想レベルの影響関係や背景的文脈をいくら研究しても「哲学」には届かない。そこにあえて踏み込むには研究者の側にもそれ相当の見地が求められる。「哲学」とは,筆者流に言えば,<現実>世界を内在的に成り立たせている目に見えない根拠を探究する直観的な知である。西周の「哲学」を把握するのであれば,その種の根拠に向けられた彼の視線にこそ焦点を合わせなければならない。

 この論文では,西の「哲学」の全体を把握するために,その糸口として三つのテーゼを立てて考察を進める。一つ目は,朱子学の「理」に対抗して西が打ち立てた<関係即理>テーゼである。朱子学,古学派とくに徂徠学,それにコントやJ.S.ミルの実証主義哲学 ―これら三者との間の差異を比較検討することによって,あらゆる事物の宇宙に<区別-連結>を導入する視線として,西の実証主義「哲学」を特徴づける。二つ目は,西が宗教に関する基本的見地を提示した<知/信>テーゼである。このテーゼの含意を読み解く中で「科学と形而上学と宗教と道徳の連関構造」を浮かび上がらせる。これこそ<理>によって媒介され,<天>によって支えられた西の哲学<体系(システム)>の枠組みである。三つ目は,現実世界に対して<区別-連結>を遂行する際の拠り所となった<情=脳>テーゼである。それがどのようにして一方では諸科学の統一を実現し,他方では功利主義倫理学の体系化を推し進めたかを追跡する。

 以下で主に取り上げるテクストは,西における「理」の解釈の到達点を示す『理ノ字ノ説』,彼の宗教観や宗教と科学との関係を示している『教門論』,そして諸科学の「統一の観」をめぐる彼の哲学的思考を例証している『心理説ノ一斑』である。出典は『教門論』を除いて『西周全集 第一巻』(『全集』と略記)に拠るが,読み易さに配慮して部分的に変えたところがある。

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